Kano鉄道局トップ   客車館

スハ32系客車

 スハ32系は,鉄道省が1929年から製造したスハ32形と同様な車体を持つ客車の形式群で,客車台枠は溝型鋼による軽量な長形台枠を採用し客車等級によらず20m車に統一されました。ペンシルバニア形と呼ばれる簡潔な構造の軸ばね台車,二等,三等,荷物,,郵便車等は2軸ボギーTR23,一等車,食堂車,寝台車等は3軸ボギーTR73を履いています。初期製造車両は二重屋根ですが,1932年以降の新造車は全て丸屋根に変更されました。丸屋根上にはガーランド形通風器を備えています。

分類 車種 形式 (改造は一部のみ) 特徴
二重屋根車 三等車 スハ32 (スハ32600)
スハフ32 (スハフ34200)
スハ32は1929年から1931年にスハ32600形として158両製造,スハフ32は1929年から1931年にスハフ34200形として105両製造
スハ33 (スハ33900) 東京-下関間の特急「櫻」専用にスハ33900形として設計された2人掛け2列一方向きクロスシート車で1930年に19両製造,うち17両は病客車スヘ32550形に改造,1941年称号改正で2両のみスハ33と改称
二等車 スロ32 (スロ30800)
スロフ31 (スロフ31250)
転換式腰掛を持つ二等車。スロ32は定員64名,スロ30800形として1929年に14両製造。スロフ31はスロ32の緩急車形で定員60名,1930年にスロフ31250形として2両製造
スロ33 (スロ31000)
スロフ30 (スロフ31200)
腰掛間隔1,980mmのボックスシートを持つ二等車。スロ33は定員64名で1929年と1930年にスロ31000形として40両製造。スロフ30はスロ33の緩急車形で定員60名,1929年と1930年にスロフ31200形として20両製造
スロ34 (スロ30750) 特急用,化粧室2箇所と給仕室を持つ転換式座席の二等車。定員60名,1930年にスロ30750形として10両製造,戦前の特急「富士」「燕」で運用
二・三等
合造車
スロハ31 (スロハ31450)
スロハフ30 (スロハフ31700)
スロハ31は1930年と1932年にスロハ31450形として23両製造。定員は二等36名,三等40名。二等車は固定クロスシート,二等車と三等車の間に便・洗面所を設ける。電気暖房搭載車両の一部は阪和電鉄直通の準急「黒潮号」で運用。スロハフ30はスロハ31の緩急車形で1931年と1932年にスロハフ31700形として13両製造。定員は二等36名,三等32名
一・二等
合造車
スイロフ30 (スイロフ30550) スイロフ30は皇族,政府高官など要人貸切用,1932年にスイロフ30550形として2両製造。前位に定員18名の一等室,後位に定員36名の転換式二等座席を設ける
展望車 スイテ38 (スイテ37000)
スイテ39 (スイテ37010)
[改]スイテ37002→スイテ37030
[改]スイテ38→マイテ38
[改]スイテ39→マイテ39
スイテ38は1930年に特急「富士」用のスイテ37000形として3両製造,定員は一等13名,展望室11名,洋風の'白木屋式'デザイン,台車はTR73。スイテ39は1930年に特急「富士」用のスイテ37010形として2両製造,基本構造はスイテ37000形に準じるが展望室は桃山式の御殿造りの豪奢な内装,定員は一等18名,展望室12名。両形式とも区分室なし。なおスイテ37002は1931年に特急「燕」予備車として区分室付きのスイテ37030形,後のスイテ47に改造
スイテ48 (スイテ37020) 特急「燕」用として1931年に2両をスイテ37020形として製造。昼行特急で一等寝台車の連結がないため3人用区分室を設置。定員は一等19名,展望室10名。展望室はモダンな洋式
寝台車 マイネ38 (マイネ37130) 特急「富士」用,マイネ37130形として1930年に5両製造。区分室5室,貴賓客用特別室を設備
マイネフ38 (マイネフ37230) 1930年にマイネフ37230形として5両製造。2人用区分室8室。戦前は東京-神戸間の急行17・18レ限定運用。1955年の等級制改正でマロネフ49に変更
マイネロ37 (マイネロ37260) 1931年にマイネロ37260形として4両製造,前位に寝台区分室として2人用3室,4人用1室,後位に転換クロスシートの二等座席を備える。北海道向け寒地仕様で,函館-旭川間の急行401・402レで使用
マイロネフ37 (マイロネフ37280) 1931年にマイロネフ37280形として3両製造,前位に一等寝台区分室として2人用2室,4人用1室,後位に二等開放寝台を設置。欧亜連絡列車として東京-敦賀港間で使用。
マロネ37 (マロネ37350)
マロネフ37 (マロネフ37550)
マロネ37は,1929年から1931年にマロネ37350形として49両製造された,マロネ37300形の増備車。開放寝台14組を備え定員42名。2人用洗面台を新設。四国以外の全国に配置,主要幹線で特急,急行列車で使用。マロネフ37はマロネフ37550として1932年に4両製造,マロネフ37500形の増備車にあたり開放寝台12組を備え定員36名
食堂車 スシ37 (スシ37740) 1929年から1931年にかけスシ37740形として19両製造。スシ37700形の改良で台車は3軸ボギーTR74
マロシ37 (マイシ37900) マロシ37は九州島内の急行1・2列車に連結のため,マイシ37900として1931年に5両製造。1935年東海道・山陽以外一等廃止による格下げでマロシ37900に改称
スロシ38 (スロシ37950) 北海道の急行201〜204レ用にスロシ37950として1932年に5両製造。側柱と外板を溶接する工法としリベット数が減少。定員は二等19名,食堂18名
郵便・荷物車 スハニ31 (スハニ35650) 1930年にスハニ35650形として20両製造,魚腹台枠を使用
スハユ30 (スハユ35300) 1930年にスハユ35300形として6両製造,魚腹台枠を使用
マニ31 (マニ36700) 1931年から1932年にマニ36700形として18両製造,荷重14t,2軸ボギーTR23を履き長形台枠を使用
マユ31 (マユ36050) 1932年にマユ36050形として3両製造された初の20m級郵便車,荷重13t
丸屋根車 三等車 スハ32 (スハ32800)
スハフ32 (スハフ34400)
スハ32800形はスハ32600形の後継として1932年から1942年に727両製造,定員88名。スハフ34400形はスハフ34200形の後継として1932年から1942年に311両製造,定員80名,座席,窓構造はスハ32800形に準じる
オハ34 (スハ33000) 特急「富士」に連結のためスハ33000形としt1934年に2両,1935年に10両製造。スハ33900形,スハ33980形と順次改番,1941年の称号規定改正時に重量記号も変更されオハ34と改番。座席間隔を従来の1,455mmから1,600mmに拡大,定員は80名
二等車 スロ34 (スロ30770) 1936年から1937に11両製造,給仕室付。基本構造はスロ30750形と同様。客室は転換式座席が隅用を含め15列,定員60名。特急「燕」に使用
オロ35 (スロ30850)
オロフ32 (スロフ31050)
オロ35はスロ30850形として1934年から1941年に70両製造。オロフ32はスロフ31050形として1934年から1937年に11両製造され,スロ30850形を前後逆向きにして後位1区画に車掌室を設けた構造。両形式とも1941年の称号規定改正時に重量記号も変更
二・三等
合造車
スロハ31 (スロハ31500)
スロハフ30 (スロハフ31750)
スロハ31500形はスロハ31450形の後継として1932年から1939年に38両製造,前位に定員36名の固定式二等室,後位に定員40名の三等室,その間に便所・洗面所を設ける。スロハフ31750形はスロハフ31700形の後継で1932年に3両製造,車内は前位に定員36名の固定式二等室,後位に定員32名の三等室と車掌室,ニ・三等室の中間に便所・洗面所を設ける。
展望車 スイテ49 (スイテ37040)
[改]スイテ49→マイテ49
特急「富士」用スイテ37000形・スイテ37010形の置換えとして1938年に2両製造,台車はTR73。展望室の側窓は1200mm幅,その他は700mm幅,展望室と一等室の間にはボックスシート8名分を設置,車軸駆動冷房装置の搭載準備がなされた。1は1954年に座席を1人用リクライニングシート化,冷房改造,2は接収,1949年返還時に蛍光灯化,冷房改造を施工,1953年に称号改正でマイテ49 2に改称
寝台車 スイロネフ38 (マイロネフ37290)
[改]スイロネフ38→スイロネ37→14号御料車/マイロネ39/マイロネフ38
[改]マイロネフ38→マロネフ59
三直宮および貴賓客御乗用として1938年に3両製造,1941年の称号改正時に重量記号を変更しスイロネフ38 1〜3となる。定員は一等室8名(寝台数2),二等室24名(寝台数12)。戦後は進駐軍に接収され,緩急装置を撤去し冷房を搭載してスイロネ37 1〜3に形式変更。返還後,スイロネ37 1は1952年に14号御料車へと改造。スイロネ37 3は返還後,1949年に特別職用車スヤ48 1となり,1952年12月には皇太子用の非公式御乗用として整備しマイロネフ38 1となり,1955年7月には一等寝台廃止に伴いマロネフ59 1に改称
マロネ37 (マロネ37400)
マロネフ37 (マロネフ37560)
マロネ37400形はマロネ37350形の増備車として1933年から1941年に46両製造,定員42名(寝台数28),喫煙室2名。マロネフ37560形はマロネフ37550形の増備車として1938年に3両製造。
マロネ38 (マロネ37480) 1935年から1936年に7両製造,前位に側通路式区分室(座席定員6名,寝台数4) 2室と,後位に長手式2等寝台(座席定員18名,寝台数12),車室中央部に4名定員の喫煙室を有し,定員は34名 (寝台数20)および喫煙室4名
マロネロ37 (マロネロ37600) 1936年から1939年に35両製造,マロネ37400形とスロ30850形の折衷構造。
スハネ30 (スハネ30000) 1931年に10両製造された初の三等寝台車。車両の片側に廊下を設け,枕木方向に三段式寝台を向かい合わせで設置。車両限界の有効活用のため丸屋根を初めて採用,以降の新製車の丸屋根に移行する端緒となった。東京-神戸間の夜行急行13・14・19・20レ,特急「櫻」に連結
スハネ31 (スハネ30100) 1932年から1937年に110両製造,丸屋根車グループで最初に登場。前位から便所,給仕室,三等式寝台が側通路方式で9区画,後位には便所,化粧室を設ける。定員72名,寝台数54
食堂車 スシ37 (スシ37800) スシ37740形の増備車,1933年から1936年に20両製造
スロシ38 (スロシ38000)
[改]スロシ38→マハ49→スハシ38
スロシ37950形の増備車,1933年と1935年に15両製造。1944年には戦時輸送力増強のため食堂の客席部分を三等普通席に改装したマハ49に改造。1953年にスハシ38に再改造し急行「日本海」などに連結。
郵便・荷物車 スハニ31 (スハニ35700) 1932年から1938年に28両製造,定員50名,荷重5t,台車はTR23
マユ32 (マユ36100) マユ36050の増備用として1935年に3両製造された取扱便用郵便車。積載荷重13t,取扱郵便数は965個,台車はTR23
マユ33 (マユ36120) 1937年から1938年に16両製造,鋼製客車初の逓信省所有の取扱便用郵便車,積載荷重14t,取扱郵便数824個
マユニ31 (マユニ36250) 1935年から1936年に13両製造,郵便室荷重7t,取扱郵便数542個,荷物室荷重6t。マユ36100形の後位半室を荷物室とした構造
マニ31 (マニ36750) 1932年から1939年に54両製造,荷重14t,二重屋根のマニ36700形を丸屋根化した構造,台車はTR23
建築限界測定車 [改]スロハ31/スハシ33/スハ32/スヤ34/スヤ51→オヤ31 1949年から1961年にかけ7両を国鉄工場で改造,建築限界計測のためフルサイズの車両として20m車が必須で,当時,既存の鋼製車で車齢が高いスハ32系が種車とされた。
( )内は1941年称号改正以前の形式,各形式とも電気暖房付は基本番号+2000を付与

スハフ32 (スハフ34400)
No.D200_110925-126
2011年9月25日
スハフ32 2357他6B
[スハ32系客車]
上越線 後閑→沼田
スハフ32形は,1929年から1931年にかけて105両が製造された二重屋根のスハフ34200形と,1932年から1942年にかけて311両が製造された丸屋根のスハフ34400形がありました。1941年の称号改正でスハフ34200形とスハフ34400形はともにスハフ32形とされましたが,スハフ34200形のうち7両が1938年に華中鉄道に供出されていたため,スハフ32 1〜98が二重屋根車,99以降が丸屋根車と付番されました。
(2022/10/06ワイド化)
No.D200_100703-86
2010年7月3日
スハフ32 2357他6B
[スハ32系客車]
SL ググっとぐんま号
上越線 水上


水上停車中の旧型客車,最後尾に連結されているスハフ32。列車無線アンテナが後付されています。
(2022/10/07追加)
No.D850_221001-097
2022年10月1日
スハフ32 2357
[スハ32系客車]
只見線 会津蒲生←只見
DE10 1651に牽引されるスハフ32 2357。スハ32系では座席のシートピッチを1,455mmとし,ボックス席1つにつき600mm幅の窓2枚が並ぶ構成。窓下には三等車を表すVの文字が標記され,一般車用2軸ボギー台車TR23を履いています。
(2022/10/03追加).
マイテ39
No.D200_080105-15
2008年1月5日
マイテ39 11
[スハ32系客車]
鉄道博物館


桃山式の豪華な車内装飾を誇るマイテ3911。1930年にスイテ37010形として2両製造されました。
(2022/10/06ワイド化)
No.D850_221112-173
2022年11月12日
マイテ39 11
[スハ32系客車]
鉄道博物館



オハ311側から撮影すると二重屋根が良く分かります。また,豪華なソファも垣間見えます。
(2022/11/17追加)
No.D850_221112-175
2022年11月12日
マイテ39 11
[スハ32系客車]
鉄道博物館
下関行きの表示が出されています。東京から下関,関釜航路を経由してはるか欧州まで鉄路で繋いでいた欧亜連絡特急「富士」の役割,当時はとても大きかったと思います。
(2022/11/17追加)
No.D850_221112-178
2022年11月12日
マイテ39 11
[スハ32系客車]
鉄道博物館
1930年に製造されたスイテ37010形,基本構造は一足先に製造されたスイテ37000形に準じていますが展望室は桃山式の御殿造りの豪奢な内装で,定員は一等18名,展望室12名,寝台車を連結しているため展望車内に区分室はない構造です。当時どんな方々がどんな身なりでどんな会話をされていたのか興味深いです。
(2022/11/17追加)
No.D850_221112-180
2022年11月12日
マイテ39 11
[スハ32系客車]
鉄道博物館
これが桃山式の御殿造り。仏壇と揶揄されたようですが,確かにそういう風にも見えます。
(2022/11/17追加)
マイテ49
No.8-35
1983年8月4日
マイテ49 2
[スハ32系客車]
交通科学館



「つばめ」テールマークを付けて交通科学館に展示されていた頃のマイテ49 2。マイテ49 2は特急「富士」用スイテ37000形・スイテ37010形の置換えとしてスイテ37040形,スイテ37041として1938年に大井工場で製造されました。丸屋根,3軸ボギー台車TR73を履き,UF50A台枠を使用した溶接組み立ての鋼体,展望室の側窓は1200mm幅,その他は700mm幅,展望室と一等室の間にはボックスシート8名分を設置,車軸駆動冷房装置の搭載準備がなされています。1941年10月の称号改正でスイテ49 2となりましたが,戦時中は使用停止,戦後は進駐軍に接収され,冷房が装備されました。1949年に接収解除となり,照明の蛍光灯化,冷房改造などを施工して整備し特急「はと」に使用されました。1953年の称号改正でマイテ49 2と改称しています。1956年に青大将色に塗り替えられ,1957年には宮原区に転属し「つばめ」の予備車となりました。1960年にマロテ49 2に改称,1961年に廃車となり,大阪の交通科学館に保存されていました。
(2022/10/06ワイド化)
No.144-21
1987年3月16日
マイテ49 2
[スハ32系客車]
東海道本線 高槻→山崎
マイテ49 2は1987年に改修の上復籍しました。写真はぶどう色2号でお色直しされたEF58150に牽引され,東海道を上るマイテ49 2。復活に際し展望デッキの柵が追加されています。上の写真と比べると安全性とは言え美観を損ねてしまっておりイマイチです。
(2022/10/06ワイド化)
No.D850_221228-138
2022年12月28日
マイテ49 2
[スハ32系客車]
京都鉄道博物館
マイテ49 2は鉄道150周年の2022年10月14日に廃車となり,これを機に京都鉄道博物館に収蔵されました。左が前位で,出入台,便・洗面所,車掌室,一等客室と並んでいます
(2023/01/05追加)
No.D850_221228-140
2022年12月28日
マイテ49 2
[スハ32系客車]
京都鉄道博物館
中央のサボ受けから左が一等客室で700mmの窓が200mmの間隔を開けて6つ並んでおり,この窓1つずつに回転する座席が通路を挟んで左右に計12席並んでいます。右側は区分室,といってもコンパートメントではなく,前後間仕切りのある空間に通路を挟んでボックスシートが1組ずつ備えられています。
(2023/01/05追加)
No.D850_221228-182
2022年12月28日
マイテ49 2
[スハ32系客車]
京都鉄道博物館
左の窓が展望室,中央の2連窓がボックスシートのある区分室,その右側,サボ受けのあるところから右へ窓6つが一等客室となっています。一等客室の定員16名は,回転座席の12名とボックスシートの4名分を足した数となります。
(2023/01/05追加)
No.D850_221228-143
2022年12月28日
マイテ49 2
[スハ32系客車]
京都鉄道博物館


展望デッキ。シンボルのテールマークが取り外されており,取り付け機構がよくわかります。
(2023/01/05追加)
No.D850_221228-058
2022年12月28日
展望車テールマーク
京都鉄道博物館



展望車のデッキに取り付けられた行灯式テールマーク。丸い「つばめ」「はと」の他,山型の富士マークもありました。富士のローマ字はHUZIと表記されています。ちなみに鉄道博物館のマイテ3911の富士はFUJIとなっています。
(2023/01/05追加)
No.D850_221228-228
2022年12月28日
マイテ49 2 ・ C621
[スハ32系客車]
京都鉄道博物館
2022年10月14日の鉄道開業150周年に合わせて美しく塗り直されたC62形1号機と並ぶマイテ492。
(2023/01/05追加)
No.D850_221228-234
2022年12月28日
マイテ49 2
[スハ32系客車]
京都鉄道博物館
1200mm幅の広窓が4つ並ぶ展望室と展望デッキ。3軸ボギー台車TR73はコロ軸受けに改造されています。おそらく1987年の復活時に改造されたと思われます。
(2023/01/05追加)
No.D850_221228-242
2022年12月28日
マイテ49 2
[スハ32系客車]
京都鉄道博物館
展望デッキと展望室の間には大きなガラス窓と扉があり開放的な空間となっています。
(2023/01/05追加)
No.D850_221228-244
2022年12月28日
マイテ49 2
[スハ32系客車]
京都鉄道博物館



マイテ49形は溶接による鋼体を用いているためリベットがなく非常にすっきりとした外観となっています。
(2023/01/05追加)
No.D850_221228-249
2022年12月28日
マイテ49 2
[スハ32系客車]
京都鉄道博物館
前位側。妻面を絞った美しい形状で梯子を備えています。形式マイテ49 42.1t,29-11 網干総の標記があります。
(2023/01/05追加)
No.D850_221228-251
2022年12月28日
マイテ49 2
[スハ32系客車]
京都鉄道博物館



一位側妻面。@の横に備品管理用?のバーコードが貼られているのも時代ですね。
(2023/01/05追加)
No.D850_221228-253
2022年12月28日
マイテ49 2
[スハ32系客車]
京都鉄道博物館


下から,鉄道省 大井工場 昭和13年の製造銘板,中央が鉄道省の銘板,上が改造銘板で日本国有鉄道 鷹取工場 昭和61年改造 の文字があります。
(2023/01/05追加)
No.D850_221228-256
2022年12月28日
マイテ49 2
[スハ32系客車]
京都鉄道博物館
出入台に付けられた「1等」の表示。所属は近ミハとなっています。
(2023/01/05追加)
マロネフ59
No.D850_221228-008
2022年12月28日
マロネフ59 1
[スハ32系客車]
京都鉄道博物館
マロネフ59 1はもともと三直宮 (じきみや) および貴賓客御乗用として1938年に3両製造されたスイロネフ37290形のうちの1両,スイロネフ37292で,定員は一等室8名(寝台数2),二等室24名(寝台数12)となっています。1941年の称号改正時に重量記号を変更しスイロネフ38 3となりましたが,戦後は進駐軍に接収され,緩急ブレーキを撤去,冷房を搭載しスイロネ37 3に形式変更しています。進駐軍からの返還後,1949年に特別職用車スヤ48 1となりました。その後,1952年12月に皇太子用の非公式御乗用として整備されマイロネフ38 1となり,さらに1955年7月には一等寝台廃止に伴いマロネフ59 1と改称しています。
(2023/1/3追加)
No.D850_221228-013
2022年12月28日
マロネフ59 1
[スハ32系客車]
京都鉄道博物館
向かって左側は1等寝台で,1人用区分室が2室備わっていました。この区分室 (個室) は長さ2.59m,幅1.86mある豪華な部屋です。一方,形式番号から右側の2連窓の部分は2等寝台で,下段は向かい合わせの座席を引き出して寝台とし,上段は折り畳んだ寝台を展開して用いる,上下2段のプルマン式寝台設備となっています。マロネフ59 1は1961年に廃車となり交通博物館に保存され,京都鉄道博物館開館時に移設されました。
(2023/1/3追加)
No.D850_221228-258
2022年12月28日
マロネフ59 1
[スハ32系客車]
京都鉄道博物館
2等車を表す青帯。台車は3軸ボギーのTR73を使用しています。
(2023/1/3追加)
No.D850_221228-014
2022年12月28日
マロネフ59 1
[スハ32系客車]
京都鉄道博物館
1947年に冷房化改造した際,写真手前側にあたる後位側の片デッキ (4位側) を塞いで冷房配電盤室としています。その後,皇太子の非公式用として整備した際に再び緩急車化しており,塞いだデッキの横に車掌室扉が設けられていて特殊な構造になっています。
(2023/1/3追加)
スハシ38 (スシ28 301)
No.D850_221228-009
2022年12月28日
スハシ38 102 (スシ28 301)
[スハ32系客車]
京都鉄道博物館
スハシ38 102はもともとスロシ37950形の増備車として1933年と1935年に15両製造された二等・食堂合造車スロシ38000形,スロシ38003で,1941年の称号改正でスロシ38 9となり,さらに1944年には戦時輸送力増強のため食堂の客席部分を三等車に改装し,調理室付き三等車マハ49 14となりました。1953年に旧食堂客席部分を食堂に再改装してスハシ38 102となり,急行「日本海」などに連結され活躍しました。1961年に廃車となり,大阪・弁天町の交通科学館(後に交通科学博物館)に収蔵されました。
(2023/1/4追加)
No.D850_221228-011
2022年12月28日
スハシ38 102 (スシ28 301)
[スハ32系客車]
京都鉄道博物館
この写真で左側が前位で,スロシ38000形としての落成時には左側から順に,出入台,便所・洗面所,続いて5列分の転換式腰掛を有するニ等室,2人掛けと1人掛けのテーブルが3列配置された食堂,調理室,という構成になっていました。この写真で食堂と記載されている窓の1つ右側の窓までが二等室であった部分です。廃車後,交通科学館で食堂として使用するために高砂工場で三等座席を撤去して全室食堂車化され「スシ28 301」と標記されましたが車籍は復活しておらず架空の車番となっています。本ページでは混乱を避けるためスハシ38 102 (スシ28 301)と記載しています。写真手前の扉はHゴム支持となっており,Hゴム採用の年代的におそらくこの全室食堂車化の際に取り替えられたものと思われます。
(2023/1/4追加)
No.D850_221228-012
2022年12月28日
スハシ38 102 (スシ28 301)
[スハ32系客車]
京都鉄道博物館
2連窓の部分は食堂で,落成時には2人掛けと1人掛けのテーブルが3列配置されていました。手前の白色の窓の部分が調理室です。
(2023/1/4追加)
No.D850_221228-017
2022年12月28日
スハシ38 102 (スシ28 301)
[スハ32系客車]
京都鉄道博物館
スシ28 301と標記されていますが,廃車後の改造に伴う架空の形式であり,博物館に展示しておくのはまずいでしょう。 せめて形式標記だけでもスハシ38 102あるいはオリジナルのスロシ38003に戻していただきたい。
(2023/1/4追加)
No.D850_221228-135
2022年12月28日
スハシ38 102 (スシ28 301)
[スハ32系客車]
京都鉄道博物館
台車は3軸ボギーのTR73を採用しており,軸箱が3つ並んでいます。スロシ38000形スロシ38000〜スロシ38004は台枠にUF45を使用しており,車体裾が2列のリベットで接合されています。スロシ38005以降は台枠をUF48に変更し,車体裾のリベットが1列になっています。
(2023/1/4追加)
オヤ31
No.99-20
1985年4月28日
オヤ31 12
[スハ32系客車]
米原機関区
EF58撮影会のときに展示されたオイラン車オヤ31 12。スハ32 426を種車に長野工場において1959年に改造されました。車体中央となる形式標記部の窓下にはサボ受けが残っています。
(2022/10/06ワイド化)
No.99-24
1985年4月28日
オヤ31 12
[スハ32系客車]
米原機関区
検測用の矢羽根を開いた状態。
(2022/10/06ワイド化)
No.N700_120104-393
2012年1月4日
オヤ31 12
[スハ32系客車]
リニア・鉄道館

検測用の照明も見えます。
(2017/07/30追加)

 2008年10月18日 スロ81・スロフ81系のTESTページ新設
 2009年3月16日 旧型客車のTESTページ新設
 2009年5月16日 キャプション記載
 2022年9月29日
    〜10月4日 形式一覧表作成
 2022年10月4日 スロ81・スロフ81のページを本ページの60系客車に集約
 2022年10月4日 職用車のページからオヤ31,スヤ42,スヤ32,スヤ52,オエ61を本ページに移設
 2022年10月6日 写真ワイド化完了,キャプション欄左右入替完了
 2022年10月7日 オハ31系,スハ32系,オハ35系,70系,60系,スハ43系,10系のページに分割
 2022年10月11日
    〜10月12日 形式一覧表に1941年称号改正前の形式を追記,各形式の概要記載


■ 参考文献
 Wikipedia 国鉄スハ32系客車


Kano鉄道局TOP 蒸気機関車 電気機関車 ディーゼル機関車 客車 電車 気動車 新幹線