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20系客車
 20系は,国鉄が1958年に開発した寝台列車用の客車で,1958年から1970年までに合計14形式473両が製造されました。日本で初めて同一系列による固定編成を組む前提で設計された客車で,軽量な10系客車を基本とした大断面準張殻構造車体を採用,ディーゼルエンジンと発電機を搭載した電源車からサービス電源を編成全体に給電し,編成全体の完全冷房化を実現,窓は複層ガラスとゴムシーリングによる固定窓としています。寝台特急「あさかぜ」から運用を開始し,青15号にクリーム1号の細帯を3本巻いた外観から「ブルートレイン」と呼ばれました。製造は日本車輌製造と日立製作所で分担,初期車はそれぞれ1‐49,51‐99の下2桁の番号でメーカ区分されアコモデーションもメーカがそれぞれ工夫して異なっていましたが,日立製作所が1963年で客車製造を中止したため,ナハネ20 350以降この原則は崩れています。
■ 新製車
形式 番号 製造年 仕様
ナロネ20 1‐3 1958 「あさかぜ」用に開発した1等寝台車,1人用1等個室「ルーメット」と2人用1等個室「コンパートメント」の区分室のみで構成,定員18名
ナロネ21 1‐4, 51‐55 1958‐1970 プルマン形開放式1等寝台車,中央通路を挟んで左右に上下2段寝台を線路方向に7区画ずつ28名分配置,その他喫煙コーナー,給仕室,荷物保管室,和洋トイレを設置,この0番台は1969‐1970年に下記100番台と同仕様に改造し原番号+500に改番
101‐147, 151‐153 100番台,給仕室→専務車掌室,荷物保管室→給仕室,730mmの小窓設置,喫煙室の半分→更衣室に変更され番台区分
ナロネ22 1‐3, 51‐55 1959‐1963 1959年「さくら」運転開始に合わせ製造された1人用個室・開放式合造1等寝台車
1969‐1970年に乗務員室→専務車掌室,荷物保管室→乗務員質とし730mmの小窓を新設,改造後は原番号+100に改番
ナハネ20 1‐49, 51‐91,101‐149, 201‐249, 301‐364 1958‐1970 2等寝台車,ナハネ11形に準じ,車内は側廊下式,520mm幅の3段式寝台が9ボックス,54名分並ぶ,通路には折り畳み式座席を設置
ナハネフ22 1‐26 1964‐1970 2等寝台緩急車,ナハフ20同様の非貫通式で最後尾は車掌室と展望室を設置,寝台は3段式8ボックス48名分設置
ナハネフ23 1‐20 1964‐1970 2等寝台緩急車,ナハフ21同様に編成分割を前提とした切妻・貫通式,寝台はナハネフ22同様48名分,ナハフ21のような売店は無し
ナロ20 1‐5, 51‐54 1958‐1960 1等座席車,ナロ10形の座席レイアウトを踏襲し,リクライニングシート12列,定員48名
ナハ20 1, 51, 52 1958 定員64名の2等座席車,回転クロスシートを装備,売店設置
ナハフ20 1‐6, 51‐53 1958‐1963 2等座席緩急車,最後尾に連結される非貫通式流線形緩急車,最後部右半分は車掌室,左半分は展望室,客室はナハ20に準じ定員68名
ナハフ21 1‐4, 51‐56 1959‐1963 2等座席緩急車,編成中間に配置し分割併合に対応するため切妻・貫通形,「さくら」「はやぶさ」「みずほ」基本編成に使用,車内はナハ20形に準じ,定員60名,売店も設置
ナシ20 1‐29, 51‐57 1958‐1970 食堂車,基本構造はオシ17に準じる,厨房は完全電化され冷蔵庫や電子レンジなど近代化,食堂部分は通路を挟んで4人片持ちテーブル10セット,定員40名,製造メーカで内装デザインが異なる
マニ20 1, 51, 52 1958 電源荷物車,全長17,500mm,自重40.6t,台車はTR54形,250kVAのディーゼル発電機2基搭載,荷物室重量3t,新聞輸送に対し荷物室容量が小さいため,以後はカニ21に移行
カニ21 1‐21, 25‐27, 51, 52, 122‐124 1959,1964‐1970 電源荷物車,マニ20に対し,新聞輸送急増のため全長を20,000mmに延長し荷物室を5tに拡大,機関室にも明かり窓を設置,騒音対策強化,100番台は当初から遠隔自動制御装置を装備,なお1971‐1972年にマニ20,カニ21,カニ22全車に電源装置の自動制御化改造,改番なし,1985年形式消滅
カニ22 1‐3, 51‐53 1960,1963 「はやぶさ」20系化に際し誕生した電源荷物車,カニ21同様のディーゼル発電機2基に加え,PS18形パンタグラフを備え,直流電化区間で架線電力でMGを回しサービス電源を得る,機器増により軸重が16tに達し,走行区間の制約を受け6両のみ
■ 主な改造車
形式・番台 番号 種車 改造年 仕様
 ・急行格下げ対応
カヤ21 変更無し カニ21 2, 4, 5, 7, 13, 15, 17, 19, 21, 122, 123 1976‐1978 20系の急行格下げにより機関車と20系の間に元空気ダメ菅引き通しがない荷物車や郵便車を連結する必要が生じたことと,EF58などP形未施工の機関車での牽引も発生するため,カニ21形18両の荷物室にクハ181発生品のC3000形空気圧縮機を搭載
 ・12系混成対応
ナハネ20
1000番台
原番号+1000 ナハネ20 126, 135, 136, 202・214, 215, 309, 313・324, 340‐342, 354, 357 1978 サービス電源を12系の440Vから供給するため,ジャンパ連結器を12系対応品に交換,変圧器搭載,客用扉を自動ドアに交換
ナハネフ22
1000番台
原番号+1000 ナハネフ22 2, 4‐13, 23 1978 上記に加え,車掌室,業務用室に車掌スイッチ,デッキにドアコック取付
ナハネフ23
1000番台
原番号+1000 ナハネフ23 9, 10, 19 1978
ナハネ20
2000番台
原番号+2000 ナハネ20 220, 232, 235, 237, 243, 245, 314, 358 1978 中間に編成組成を限定
 ・ジョイフルトレイン「ホリデーパル」 
ナハネ20
700番台
ナハネ20
701‐705
ナハネ20 325‐329 1984 広島鉄道管理局のジョイフルトレインとして唯一20系を種車に幡生工場で改造,ナハネ,ナハネフ22は簡易個室,4号車のオハ14 701はサロンカー,1990年に白ベース窓周りパープルに塗色変更,電源車のカヤ21 123,ナハネ20 331,335,ナハネフ23 14も同色に変更,1997年3月廃車
ナハネフ22
700番台
ナハネフ22
701
ナハネフ22 21 1984
オハ14
700番台
オハ14
701
オシ14 1 1984
 ・オリエント急行対応
オニ23 オニ23 1 ナハネフ23 8 1988 「オリエント急行」客車が日本国内で走行するため,ねじ式連結器と自動連結器の変換アダプターの役割をする控車が必要になり,マニ50とナハネフ23を使用,ナハネフ23はプルマン車と同様の白と紺のツートンに塗り,片側をねじ式連結器に改造,バッファ取り付け
ナハネフ22
No.7‐20
1983年7月24日
EF65PF+20系
急行 銀河
東海道本線 山崎→高槻
ナハネフ22最後尾に山崎のカーブをゆく下り「銀河」。20系銀河末期の絵入りテールサインがとても美しく光っています。
(2022/09/23ワイド化)
No.80‐6
1984年11月18日
EF65PF+20系
急行 銀河
東海道本線 高槻←山崎
百山踏切を通過し終着の大阪へ向かう「銀河」。
(2022/09/23ワイド化)
No.94‐27
1985年3月12日
20系 銀河
東海道本線 東京
20系デビュー当時の風格を伝える「銀河」。
(2022/09/23ワイド化)
No.111‐5
1985年10月20日
20系7B+マニ50
706レ だいせん
山陰本線 米子
上り「だいせん」の編成。このあとDD51 1105がナハネフ22の前に連結されました。
(2022/09/23ワイド化)
No.D200_080105‐38
2008年1月5日
ナハネフ22 1
鉄道博物館


このナハネフ22,ほとんど引きがなく撮影に苦労しました。窓上の白帯が復活しています。印象深い車掌室の電話は当時のままです。
(2022/09/23ワイド化)
No.D700_150718‐87
2015年7月18日
ナハネフ22 1
鉄道博物館

D700で色再現性と解像度が上がりました。
(2015/07/20追加 2022/09/23ワイド化)
No.D700_150718‐88
2015年7月18日
ナハネフ22 1
鉄道博物館
ブルトレ最後尾に輝くあさかぜのテールサイン。
(2015/07/20追加)
No.D700_150718‐92
2015年7月18日
ナハネフ22 1
鉄道博物館
白Hゴムで囲われた方向幕のロール。
(2015/07/20追加)
No.D700_150718‐96
2015年7月18日
ナハネフ22 1
鉄道博物館
1つ☆は客車三段寝台のマーク。
(2015/07/20追加)
No.D700_150718‐97
2015年7月18日
ナハネフ22 1
鉄道博物館



52cm幅の3段寝台です。
(2015/07/20追加)
ナハネフ22 1000番台
No.N8211‐24
1982年11月20日 5:13
EF64+12系+20系
ナハネフ22 1000番台
急行 ちくま3号
篠ノ井線 松本
飯田線に旧国撮影に行った折に乗車した「ちくま」。早朝の松本で発車を見送りました。このナハネフ22は12系との連結運転のため1000番台化されています。
(2022/09/23ワイド化)
No.120‐15
1986年3月15日
12系+20系
ナハネフ22 1000番台
かいもん
鹿児島本線 門司港
 
門司港で発車を待つ急行「かいもん」。12系+20系寝台で構成されていました。ナハネフ22とナハネ20はスハフ12からサービス電源を受けるため,ジャンパ連結器や変圧器搭載など,1000番台化改造されています。
(2017/12/22追加)
No.123‐18
1986年3月20日
ED76+20系
ナハネフ22 1000番台
急行 日南
日豊本線 鹿児島


絵入りテールサインの日豊本線周りの夜行急行「日南」。一般形客車で運転されていた急行「日南」は1978年3月15日から鹿児島本線の急行「かいもん」とともに12系+20系の混成編成に置き換えられました。20系のサービス電源をスハフ12から供給するための変圧器が搭載され,「日南」「かいもん」用の20系客車は1000番台を名乗っていました。
(2022/09/23ワイド化)
ナハネフ23
No.49‐04
1984年4月11日
EF65+20系
ナハネフ23
団体臨時列車
東海道本線 西ノ宮→芦屋
夕刻の芦屋付近をゆく20系。ナハネフ23が最後尾にきている編成の走行シーンは珍しくほとんど撮っていません。
(2022/10/08追加)
ナシ20
No.D700_120103‐287
2012年1月3日
ナシ20 24
交通科学博物館
この車両は"現役"の食堂車です。
(2012/01/09追加 2022/09/23ワイド化)
No.D850_221228‐179
2022年12月28日
ナシ20 24
京都鉄道博物館
京都鉄道博物館のプロムナードに移設され,DD54 33と連結して展示されているナシ20 24。
No.D850_221228‐180
2022年12月28日
ナシ20 24
京都鉄道博物館
撮影時にはコロナ禍のため食堂としての営業は停止されていました。下回りが一切見えなくなっているため本物の食堂車という魅力が感じられなくなっており残念。交通科学館の展示の方が優れていました。
(2023/01/15追加)
カニ21
No.40‐16
1984年3月30日
EF651127+20系
カニ21
8012レ あさかぜ52号
東海道本線 根府川
EF65PFに牽引され根府川を通過する「あさかぜ52号」で貫禄のオリジナルテールサインを掲出するカニ21。当時は臨時特急の愛称は50番台でした。
(2022/09/23ワイド化)

カヤ21
No.41‐5
1984年3月30日
EF64 1014+20系 カヤ21
801レ 天の川
東北本線 上野

EF641014号機に牽引され,上野駅地平14番線から22:37に発車していた801レ急行「天の川」。最後尾にはこのカヤ21の轟音と堂々たる急行バックサインが輝いていました。「天の川」は1963年6月1日改正で10系寝台により誕生,1976年に急行では初めて20系に置き換えられました。上り列車において電源車と機関車の間に元空気ダメ菅引き通しの無いスユ16を連結する必要があり,機関車から増圧圧縮空気の供給を受けられなくなること,P形改造未施工の機関車の牽引も想定されること,の理由からカニ21の荷物室にクハ181から発生品のC3000形空気圧縮機を搭載し,カヤ21に形式変更されています。スユ16の連結は1982年11月15日改正で解消し,写真の時点では20系のみの11Bで運転されていました。
(2022/09/23ワイド化)
No.52‐19
1984年5月12日
EF65 1128+20系11B
9944レ
東海道本線 芦屋→西ノ宮
予定臨8010レのスジでやってきた20系11両。マークは入っていませんが,カヤ21の帯はしっかり3本入っています。
(2022/09/23ワイド化)
No.86‐3
1985年1月5日
EF651139+20系7B
カヤ21
9026レ 明星
東海道本線 芦屋→西ノ宮
PFラストナンバーが牽引してきた20系「明星」。
(2022/09/23ワイド化)
No.96‐27
1985年3月24日
EF651138+20系9B
カヤ21
臨時特急 明星
東海道本線 高槻→山崎
百山踏切を通過する「明星」。
(2022/09/23ワイド化)
No.149‐37
1987年8月10日
EF65PF+20系
カヤ21
臨時特急 明星
東海道本線 芦屋→西ノ宮
夏季多客臨として運転された明星。上のNo.86‐3とはテールマークのデザインが異なります。
(2022/09/23ワイド化)
No.156‐2
1988年4月10日
尾久客車区
カヤ21
はくつる


やはり窓上の白帯が消されて間が抜けた感がありますが,やはりオリジナルのテールサインは,無理やり嵌め込んだ絵入りマークと違ってバランスがよく美しいです。
(2008/10/13追加 2022/09/23ワイド化)
No.163‐21
1989年5月2日
EF65PF+20系
カヤ21
明星
東海道本線 芦屋→西ノ宮
明星はGWにも運転されていました。上のNo.149‐37に比べて逆光になりつらい写真です。
(2022/09/23ワイド化)
No.200‐2
1991年1月4日
EF66+20系
カヤ21
臨時特急 霧島
東海道本線 芦屋→西ノ宮
年始の多客臨として運転された「霧島」。牽引機もEF66が使われており,20系客車の現役として最晩年の姿。
(2022/09/23ワイド化)
ホリデーパル
No.113‐33
1985年11月27日
DD51768+
20系ホリデーパル7B
ナハネフ22 701
関西本線 柘植
1984年に広島鉄道管理局が20系を幡生工場で改造して誕生したジョイフルトレイン「ホリデーパル」。オシ14 1をオハ14 701に改造の上,20系6両に挟み込んでいます。
(2009/12/27追加 2022/09/23ワイド化)
No.113‐34
1985年11月17日
DD51 768+20系ホリデーパル
カヤ21 123
関西本線 柘植



柘植の跨線橋から撮影した屋根周り。
(2020/04/29追加)
オニ23 1
No.160‐26
1988年11月23日
EF81+オニ23 1
+オリエント急行客車
オリエント・エクスプレス'88
東海道本線 大阪
大阪駅に停車中のオリエント急行客車。EF81の次位が自動連結器とねじ式連結器のアダプターの役割をする控車,オニ23 1で,国鉄時代に除籍され国鉄清算事業団が保有していたナハネフ23 8を日立製作所笠戸事業所で改造,改番しJR東日本に復籍させたものです。車内では当時まだ試作段階であったハイビジョンテレビのデモをおこなうシアターが設けられました。
(2022/10/09追加)

 2008年8月3日 TEST ページ新設
 2022年9月22日 新製車一覧表を追加
 2022年9月23日 主な改造車一覧表を追加
 2022年9月23日 写真ワイド化完了
 2022年9月23日 写真を時系列から形式毎に並べ替え,キャプション欄左右入替完了
 2022年9月24日 Safariで半角数字列が電話番号リンクされるのを無効化

■ 参考文献
 Wikipedia 国鉄20系客車


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