【特集】飯田線訪問記 ‐旧型国電最後の秋‐ | |||||||||||
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1982/11/19 | |||||||||||
No.N8211‐22 1982年11月19日 21:30 165系 7811M ちくま1号・くろよん 東海道本線 大阪 |
今回の撮影行は鉄研のN氏とともに,夜の大阪駅11番線からスタート。今回のために購入した三脚Velbon
HGB‐3のテストがてら,まず165系のバルブ。時間は21:30,FUJICOLOR400,NikonFE,Ai
Nikkor43‐86mm f/3.5,F8,シャッター速度AUTOとしました。この7811Mは大阪発11/19‐22に運転され,10番線21:43発,「ちくま1号」は長野6:18着,「くろよん」は途中松本で分割され南小谷着6:50というダイヤでした。 (2023/03/21 本ページに追加) |
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No.N8211‐23 1982年11月19日 22:50 カニ24 0番台(1‐8) 4005レ つるぎ 東海道本線 大阪 |
続いて24系25形寝台特急「つるぎ」,発車時刻は10番線から22時ジャスト発でした。最後尾のカニ24はマイクロスカートのついた若番(カニ24
1‐8)。手前の11番線に停車中の列車は22:10発の「きたぐに」。自分達は「きたぐに」のあと22:20に11番線から出る「ちくま3号」に乗り込みます。 (2023/03/21 本ページに追加) |
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1982/11/20 | |||||||||||
No.N8211‐24 1982年11月20日 5:13 EF64+12系+20系 ナハネフ22 1000番台 急行 ちくま3号 篠ノ井線 松本 |
乗車した「ちくま3号」は早朝5:11に松本着。乗車したのはこの20系ではなく前に付いている12系ハザ,3両ある自由席でした。ホームで長野に向かう列車を見送ります。このナハネフ22は12系との連結運転でスハフ12からサービス電源を受けるため,1000番台化されています。 (2023/03/21 本ページに追加) |
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No.N8211‐25 1982年11月20日 6:25 EF64 27+14系 中央本線 松本 |
松本でも早朝から三脚を使って撮影していきます。6時25分,停車しているのは2次量産機であるEF64
27号機が牽引する14系ハザ。EF64 27号機は川崎車輌・川崎電機にて製造され,1966年5月9日に落成,甲府機関区に新製配置されています。 (2023/03/21 本ページに追加) |
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No.N8212‐1 1982年11月20日 6:30 183系1000番台 4M あずさ4号 篠ノ井線 松本 |
松本から辰野まで乗車した松本始発の183系L特急「あずさ4号」,2番線から6:39発車でした。信州ワイドの周遊区間内なので自由席に乗車できます。車体が暗いですが電幕に合わせた露出設定としました。 (2023/03/21 本ページに追加) |
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No.N8212‐2 1982年11月20日 7:10 183系1000番台 4M あずさ4号 中央本線 辰野 |
辰野4番線から新宿に向かう「あずさ4号」をお見送り。1982年4月に塩嶺トンネルが貫通したため,あずさ系統は翌1983年7月5日からみどり湖をルートに移りましたので,駅名標を入れて撮っておきたかったですが間に合わず。隣には黒いワラ1形が入った車扱貨物列車が待機中。 (2023/03/21 本ページに追加) |
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No.N8212‐3 1982年11月20日 7:12 クモハ54002 (51系) 223M 飯田線 辰野 |
さて,いよいよ旧国ワールドへ。最初にご対面したのはクモハ54002を先頭にして早朝の辰野2番線に停車していた6両編成。2両目は2扉のクハ47104です。偶数向きのクモハ54002はモハ54002として1937年度に川崎車輌で製造された片運転台式の3等制御電動車で,従来のモハ51形に対し主電動機を新設計の高出力型MT30に変更,歯車比も1:2.56に変更しています。 (2023/03/12ワイド化) |
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No.N8212‐4 1982年11月20日 7:15 クモハ54125 (40系) 223M 飯田線 辰野 |
上の写真の最後尾です。223Mは辰野7:03着,7:19発で中央本線の茅野まで運転されていました。1960年代の京阪神緩行線で見慣れた顔ですが,塗色や窓ガラスのHゴム支持化,運転席上の通風孔が塞がれていることなどからかなり異なった印象を受けます。さて車両番号を特定しましょう。扉間の窓が5枚であり,もともとロングシートであったモハ60形をセミクロス化改造により1953年6月にモハ54形100台に編入されたMc車とみられます。この時代に静ママに在籍したクモハ5100番台車は106,
108, 110, 111, 112, 117, 125, 129, 131, 133の10両に絞られるので実車写真と比較して特定しました。運転席下の制御ジャンパコネクタ有無,運転室窓,助士席側改造,閉塞された運転席上通風孔とヘッダーが接触するラインの処理,標識灯下のステップの位置と長さ,などなど旧型国電ならではの改造箇所の多さからこの写真にピッタリ当てはまる車両はクモハ54125のみでした。モハ54125は1953年車両形式称号規程改正により,1952年からクロスシート化されていたモハ60094をモハ54形100番台に編入したものです。 (2023/03/12ワイド化) |
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No.N8212‐5 1982年11月20日 7:25 クハ68404 (51系) 236M 飯田線 辰野 辰野1番線に停車中のクハ68404を最後尾にした飯田線236M列車,これから自分達が乗り込む編成です。辰野方から,クハ68404‐クモハ53001‐クモハ53000‐クハユニ56012という旧型国電ファン垂涎の4両編成でした。写真のクハ68404は1936年度に51系のクハ68004として新製されましたが,戦時中1943‐45年にロングシート化されクハ55118に改番されました。戦後,セミクロスシートに復元されクハ68030(2代目)となりました。1968年5月に飯田線用としてトイレ取付改造を施し,クハ68404に改番されました。 (2023/03/12ワイド化) |
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No.N8212‐6 1982年11月20日 7:27 クハユニ56012 (51系) 236M 飯田線 辰野 |
こちらが豊橋方の先頭,クハユニ56012。右側の貨物扱施設も貴重なのでトリミングしないで掲載しておきます。この車両は横須賀線の戦前最後の新製車であるモハユニ61の改造車で,011と012がいました。一方,クハニ67形から改造されたクハユニ56001‐004もありました。クハユニ56012は元モハユニ61003でしたが戦時下の物資不足のため未電装のまま就役しており,戦後1951‐1952年に3等車部分のセミクロスシート化,便所取付改造を実施してクハユニ56012に改番されました。 (2023/03/12ワイド化) |
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No.N8212‐7 1982年11月20日 8:00 ED62 2 飯田線 伊那松島 |
236Mで7:54に伊那松島に着き早速機関区へ。伊那松島駅から機関区に入るED62
2号機の1END側。ED62 2号機は,線路規格の低い飯田線で貨物運用するため,ED61
2号機を種車として,1975年8月17日に軽軸重化する改造を受けて誕生した機関車です。 (2023/03/21 当ページ追加) |
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No.N8212‐8 1982年11月20日 8:00 ED62 2 伊那松島機関区 |
上の写真とは逆の2END側から撮影,機関区に入るED62 2号機。車体中央に設けられた軸重軽減用の1軸中間台車に光があたり,車輪が見えています。 (2023/03/21 当ページ追加) |
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No.N8212‐9 1982年11月20日 8:01 クモハ54001 (51系) 飯田線 伊那松島機関区 (許可を得て撮影) 検査で松島区のクラに入っている編成の奇数(上り)側。200mm。許可を得て撮影の割には200mmなんか使ってますが,私達が静ママを訪問する直前にサボかなんかパクった不届きな輩がいたようで,電車に手の届かないところからの撮影を余儀なくされました。それでも奇数向き,運行番号表示窓が2桁,Hゴム支持改造された窓の上下方向が短いこと,ジャンパ連結器などからクモハ54001と特定できました。 (2023/03/12ワイド化) |
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No.N8212‐10 1982年11月20日 8:10 クモハ54108 (40系) 227M 飯田線 伊那松島 |
天竜峡始発の227Mが伊那松島を発車。助士席側の窓が縦長で運行番号が下枠から浮いている特徴からクモハ54108であることがわかります。1952年にモハ60036をクロスシート化改造したもので,1953年6月の車両形式称号規程改正でモハ54108に改番しています。 (2023/03/20追加) |
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No.N8212‐11 1982年11月20日 8:11 クハ68403 (42系) 飯田線 伊那松島機関区 (許可を得て撮影) |
検査で松島区に入場している編成。手前の平妻車は42系クロハ59005を2等廃止によりモノクラス化の上,3扉セミクロスシートに改造されたクハ68025で,戦時中にロングシート化されクハ55139になり,戦後セミクロスシートに復元,クハ68003となりました。飯田線運用のため1974年にトイレ取り付け改造を行ってクハ68403に変更されています。側面窓配置はd1D25D32D2となっており,中央の客用扉より後位側に旧2等車の窓割りが残っています。運転士窓左下に大鉄形ベンチレータが付いています。 (2023/03/12ワイド化) |
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No.N8212‐12 1982年11月20日 8:12 ED62 2, ED62 3 伊那松島機関区 |
ED62 3号機はED61 9号機を種車として,1975年8月25日に線路規格の低い飯田線で運用するため,軽軸重化する改造を受けています。遠路はるばる訪問しましたが,この距離だと形式が撮れません。全くお手上げです。N氏は諦めきれず裏へ回ってクモエ21の写真を撮ろうとしましたがかなわず撤収しました。 (2023/03/21 当ページ追加) |
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No.N8212‐13 1982年11月20日 10:00 クハ68420 245M 飯田線 上片桐 伊那松島で期待した形式写真を撮影できなかったので8:58発の165系4連,604M伊那4号に乗り込み天竜峡へ向かいました。途中で交換した245Mの正面,撮影場所不明でしたが運転士側の正面窓に「ぎり」の駅名標が映り込んでいました。最初,大田切かと思いましたがダイヤを見ると下り列車と交換しているのは大田切ではなく上片桐でした。対向列車は貫通扉下の幌受金具がスマイルマークのようになっている点でクハ68414か68420に絞られ,助士席側の窓枠の形状から後者のクハ68420と特定できました。 (2023/03/20追加) |
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No.N8212‐14 1982年11月20日 10:25 クモニ83103 1221M 飯田線 飯田 飯田では海坊主と呼ばれたクモニ83100番台車と交換。飯田線荷物用の不足を補うためクモユニ81形の郵便室を撤去し,クモニ83形100番台としました。1969年に浜松工場で3両が改造され在籍していました。さてこれは83101,83102,83103のうちどれでしょうか? 特定しましょう。実車写真をよくみると,[57‐5 浜松工]と記載された表記が標識灯のすぐ右脇にあるのが83101と83102で,タイフォン側に寄っているのが83103です。そこでこれは83103であることがわかりました。なお,右端の人影は同行のN氏です。2両目の車両はクハユニ56っぽいです。 (2023/03/21 本ページに追加) |
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No.N8212‐15 1982年11月21日 11:14 クハ68408 or 68410 625M 飯田線 千代→天竜峡 天竜峡に到着,撮影地を探して移動します。かなり遠いですが,先頭のクハ68は扉間6枚窓でトイレ付き,かつ2両目が扉間5窓のクモハなので,クハ68408,68410のいずれかに絞られます。 |
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No.N8212‐16 1982年11月21日 11:27 165系 4両 601M 急行 伊那1号 飯田線 千代→天竜峡 |
紅葉の中をゆく165系4連。当時無知だったのでこの写真もFUJICOLOR400を使っています。もっといいフィルム使いたかった。 (2023/03/21 本ページに追加) |
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No.N8212‐17 1982年11月20日 11:48 左 クハ68414 (40系) +クモハ43015 (42系) 238M 飯田線 天竜峡→千代 |
景勝地をゆく旧国2両。半流クハ68414+クモハ43015。右側のモハ43はモハ42の片運転台バージョン,42系を代表する形式で,側面窓配置は運転台側からd1D2
12 2D2となっています。モハ43015は1933年梅鉢鐵工所製,なお梅鉢鐵工所は1936年に梅鉢車輌,1941年に帝国車両工業に改称されました。一方,左側のクハ68414は元クハ55082で,戦後セミクロスシート化によりクハ68100に改番し編入されました。飯田線で運用するため1972年にトイレ取り付け改造をおこなってクハ68414に変更されました。 (2023/03/12ワイド化) |
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No.N8212‐20 1982年11月20日 13:05 手前 クモハ43015 (42系) +クハ68414 (40系) 253M 飯田線 千代→天竜峡 紅葉の天竜峡をゆく2両を追い写し,上の写真の238Mが平岡まで行って戻ってきたもの。この列車は天竜峡止まりで夜まで側線にいました。このクモハ43015はオリジナルモハ43のまま最後まで残った1両でした。 (2018/09/23 ワイド化) |
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No.N8212‐21 1982年11月20日 13:08 クモハユニ64000 (51系) 他 1226M 飯田線 千代←天竜峡 |
クモハユニ64000を先頭にした4連。2両目はクハ68412です。クモハユニ64000については下の方のNo.N8213‐9Aの解説をご覧ください。 (2021/11/7 ワイド化) |
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No.N8212‐22 1982年11月20日 13:34 165系 4両 603M 急行 伊那3号 飯田線 千代←天竜峡 |
陰ってしまいましたが,天竜川を渡る165系4両の下り急行「伊那3号」。 (2023/03/22追加) |
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No.N8212‐24 1982年11月20日 13:57 80系 4両 257M 飯田線 天竜峡←千代 |
4連で登場した80系の各停が紅葉のトンネルに吸い込まれていきました。風景にマッチしたこのツートン,素晴らしいの一言に尽きます。 (2023/03/23 本ページに追加) |
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No.N8212‐25 1982年11月20日 14:43 ED62 11 263レ 貨物 飯田線 天竜峡←千代 逆光で燃える紅葉をバックにED6211の下り貨物が山間の小駅を通過するシーン,三脚に200mmをセットし縦位置で張り切って撮影しています。 (2023/03/22追加) |
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No.N8212‐26 1982年11月20日 14:43 ED62 11 263レ 貨物 飯田線 天竜峡←千代 みるみる近づいてくるDE62に対し,結構重たい200mmレンズのフォーカスリングを回しながら切り位置でフォーカスを合わせつつシャッターを切ろうとしましたが,新品の三脚を使いこなせず,ようやく合焦した時には左サイドが切れてしまいました。手前のススキも中途半端…。このED62 11号機はED61 10号機を種車として1977年9月9日に改造されました。 (2023/03/21 本ページに追加) |
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No.N8212‐27 1982年11月20日 14:48 165系 606M 急行 伊那6号 飯田線 天竜峡→千代 下村トンネルを出てくる165系の正面。助士席側の窓には通票のキャリアが見えます。 (2023/03/22追加) |
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No.N8212‐28 1982年11月20日 14:48 165系 606M 急行 伊那6号 飯田線 千代 黄金色に染まる千代を通過する165系急行伊那6号。国鉄ローカル線の秋って感じです。 (2023/03/22追加) |
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No.N8212‐29 1982年11月20日 14:50 保線作業車 飯田線 天竜峡→千代 |
165系の後,しばらく列車ないなあと気を抜いていたら突然下村トンネルからこれが出てきて肝を冷やしました。 (2023/03/22追加) |
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No.N8212‐30 15:30 1982年11月20日 ED62 18 290レ 貨物列車 飯田線 天竜峡→千代 ラストナンバーED62 18号機の下村トンネル飛び出し。ED62 18号機はED61 15号機を種車として1979年1月24日に改造されました。 (2023/03/21 本ページに追加) |
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No.N8212‐30 16:10 1982年11月20日 クハ68416 (51系) 1223M 飯田線 千代 |
千代に到着する下り1223M。これで天竜峡まで戻ります。 (2023/03/22追加) |
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No.N8212‐32 1982年11月20日 16:16 クハユニ56011 (51系) 1228M 飯田線 天竜峡 |
天竜峡では辰野方からクハユニ56011先頭の上り4連が到着。シル・ヘッダー付きであり,ヘッドライト下左右に手すりがないことからクハユニ56011と特定できます。従って2両目はクモハ54106です。クハユニ56011は1943年に横須賀線の郵便荷物車の増強用に汽車製造支店でモハユニ61002として製造された3等郵便荷物合造車でしたが,戦時下における物資不足のため未電装のまま就役しており,1951‐1952年にかけてセミクロスシート化と便所追加の改造を行ってクハユニ56011に改番されました。 (2023/03/12ワイド化) |
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No.N8212‐33 1982年11月20日 16:17 左 クハ68406 (51系) 右 クハ68416 (51系) 1228M, 1223M 飯田線 天竜峡 |
天竜峡駅で顔を揃える1228Mと1223M。クハ68400番台車ですが,出自は両車ともオリジナルのクハ68でした。左側はクハ68406で,クハ68006として1936年に落成し戦時改造としてロングシート化しクハ55120に改番されていました。戦後1951‐52年にクロスシートに復元され68034(2代)となりました。飯田線運用のため1968年にトイレ取り付け改造を行ってクハ68406に改番されました。一方,右側はクハ68416で幌付きでサボ受けがありません。このクハ68416はクハ68002として1936年に落成しました。戦時中にロングシート化されクハ55116と改番,戦後セミクロスシートに復元されクハ68026(2代)となりました。飯田線運用のため1974年にトイレ取り付け改造を実施してクハ68416に改番されました。 (2023/03/12ワイド化) |
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No.N8212‐34 1982年11月20日 16:25 天龍峡 天龍峡の観光写真,江戸時代の1847年に漢学者・儒学者の阪谷朗慮(さかたにろうろ)が命名したそうで,駅名は[竜]ですが文化財の名称としては[龍]の字を使うようです。結構な水量があります。 (2023/03/22追加) |
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No.N8212‐36 1982年11月20日 16:27 天龍峡 |
船着場があります。行楽シーズンは天竜ライン下りの観光客で賑わうようです。このあとN氏と記念写真を撮り宿に向かいました。 (2023/03/22追加) |
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No.N8212‐37 1982年11月20日 19:50 左 クモニ83101 1227M 右 クモニ83103 1232M 飯田線 天竜峡 |
宿で出された熱々の鍋料理も早々に切り上げ,再び機材を持って真っ暗な夜道を駅まで戻ります。なんとかクモニ83の交換時間に間に合いましたが,先行したN氏に三脚を貸していたのでバルブできません。そこで乗務員が降りたのを見計らってスピードライトを焚いてなんとかこのシーンを撮影。右側は昼間に飯田で交換したクモニ83103です。左は83101か83102なのですが,運転室窓の上に小さなサビの浮いている箇所があり,これが83101の実車写真と一致。だんだん鑑識のようになってきました。 (2015/01/31追加) |
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No.N8213‐0A 1982年11月20日 20:20 ED62 16 266レ 飯田線 天竜峡 |
三脚を返してもらいED62からバルブ撮影開始。天竜峡ナイトステージ,盛り上がってきました。単機で到着したこのED62
16号機,ED61 17号機を種車として1978年8月8日に改造されました。 (2022/05/03 本ページに追加) |
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No.N8213‐1A 1982年11月20日 20:25 クモハ53008 (52系) 左 クハ47009 (32系) 飯田線 天竜峡 |
続いて電留線の旧国。中央が会いたかった「合いの子流電」ことクモハ53008,左はクハ47009です。53008は元43040で,急行運転が京阪神に延伸された1937年に流電52系の増備車として誕生しました。流電52系と半流線形51形のハイブリッドとして設計され,ノーシルノーヘッダーの全溶接仕上げとした平滑な車体に,美しい半流貫通形の顔を組み合わせ,車間中間のクロスシート部には広窓,両端のロングシート部には小窓を配置しています。張り上げ屋根で側面から屋根へのラインも美しく戦前形国電の最高傑作の1両といえるでしょう。戦後は阪和線を経て飯田線で活躍しました。ベンチレータや雨樋,幌枠など容姿はかなり変わっています。 (2023/03/12ワイド化) |
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No.N8213‐2A 1982年11月20日 20:27 クモハ43015 (42系) 右 クハ68414 (51系) 飯田線 天竜峡 |
上の写真の右側の2両は昼間撮影したクモハ43015+クハ68414でした。2扉の間に小窓がずらりと並ぶさまはとても美しかった。左側がクモハ53008。 (2023/03/12ワイド化) |
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No.N8213‐3A 1982年11月20日 20:40 クハ86300番台 (80系) 4両 248M 飯田線 天竜峡 |
夜の天竜峡に到着した248Mは80系4両,湘南色のツートンは華やかさがあります。 (2023/03/23 本ページに追加) |
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No.N8213‐4A 1982年11月20日 20:43 クハ86319 (80系) 4両 248M 飯田線 天竜峡 |
上と同じ編成の奇数(上り)向き,しっかり絞ってバルブ撮影。サボを変えるため線路側の扉も開かれています。ISO400のネガフィルム,健闘しています。 (2023/03/23 本ページに追加) |
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No.N8213‐5A 1982年11月20日 20:50 クハ47009 (32系) 267M 飯田線 天竜峡 |
上のN8213‐1A,2Aと同じ編成。これから仕業につくところです。豊橋方からクハ47009‐クモハ53008+クモハ43015‐クハ68414の編成。クハ47009は1930年に2扉20m級クロスシート3等制御車として落成し横須賀線の付属編成用として活躍しました。1951年,身延線に転用した際にトイレ取り付け改造を行っており,定員は120名から115名,うち座席定員は82名から80名に変更されていますが,この47009は3扉化や4扉化改造を逃れ最後まで2扉のまま残りました。なお,クハ47001‐47010は偶数(下り)向きとして落成しましたが静岡局に移動したクハ47は全車が奇数向きに方向転換しています。 (2023/03/12ワイド化) |
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1982/11/21 | |||||||||||
No.N8213‐6A 1982年11月21日 6:01 クハ86108 (80系) 638M 飯田線 天竜峡 |
638Mは飯田を5:12に出る始発上り列車で80系4両で運転されていました。天竜峡には5:52着,6:09発。これに乗車して出発します。このクハ85,飯田線には85104と85108がいましたが,運転席窓の高さが若干異なっており,窓が低いことからクハ85108であることが判明しました。端的には前照灯下の手摺の下と正面窓上端の間隔を見ると区別できます。 (2023/03/23追加) |
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No.N8213‐7A 1982年11月21日 6:36 クハ86306 (80系) 239M 飯田線 温田 |
温田にて,平岡発上諏訪行きの普通列車239Mと交換。駅員が運転士に通票キャリアを受け渡ししています。この列車,平岡6:24に出て上諏訪に10:31に到着するダイヤでした。クハ86300番台はそれまでの86100番台と異なり10系客車に準じたセミ・モノコック構造の全金属車体を採用,ウィンドウシル/ヘッダーを無くし窓が大型化しサイドビューがすっきりしました。内装も完全金属化され,当初から蛍光灯照明となり一気に近代化が進みました。 (2023/03/23追加) |
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No.N8213‐9A 1982年11月21日 7:47 クモハユニ64000 (51系) 1221M 飯田線 中部天竜 |
中部天竜では1221Mと交換,最後尾は前パンが格好良いクモハユニ64000でした。クモハユニ64000は大糸線の荷物用兼貨車牽引用のためモハユニ61001を改番したモハユニ44100を1961年3月に長野工場で改造・改番して誕生しました。後に貨車牽引の役目がなくなり,山陽本線の荷電兼入換用として岡山に移り,第2エンドに貫通扉を取り付けています。1977年に浜松工場の入替え用を経て飯田線にやってきました。岡山区からの転入が比較的遅かったため前面サボ受けのないのが特徴となっています。1983年に廃車になりました。 (2023/03/12ワイド化) |
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No.N8213‐10A 1982年11月21日 8:02 ED62 16 261レ 飯田線 浦川 |
浦川では下り貨物261レを牽くED6216と自分が乗っている上り普通638Mのタブレット交換風景が見られました。 (2023/03/21 本ページに追加) |
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No.N8213‐11A 1982年11月21日 8:10 80系 4両 638M 飯田線 東栄←出馬 |
撮影地として有名な東栄‐出馬間を走行する80系 (2023/03/23追加) |
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No.N8213‐12A 1982年11月21日 8:12 左 80系 638M 右 クハ68420 623M 飯田線 東栄 朝もやの東栄に到着した80系上り638Mと下り623M列車の交換風景。このクハ68も貫通扉下に幌受けのスマイルマークのようなアイボリー色の金具があり,昨日撮影した写真を比べてサビや扉の傷が同じなのでクハ68420であることがわかりました。 (2023/03/21追加) |
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No.N8213‐13A 1982年11月21日 8:30 クハ68409 (40系) 625M 飯田線 三河槙原 ようやく本日の撮影地,三河槙原に到着。山間部の沿線にも日が昇り,秋晴れのいいお天気になりました。まず駅前にそびえる岩山をバックに対向の625Mを撮影。右側のホームは1979年の愛知県民の森全国植樹祭の際にED62牽引の1号編成お召がやってきた側線と見られます。さて手前のクハ68ですが,運行番号表示窓の無い幌枠の付いた平妻車,下り向き,下の写真でグローブベンチレータが8つ載っていることから,クハ68409であることがわかりました。この車両はクハ55014として1932年に製造され,戦後クロスシート化されクハ68094となりました。飯田線での運用のため1968年にトイレ取り付け改造を行ってクハ68409に改番されています。 (2023/03/20追加) |
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No.N8213‐14A 1982年11月21日 8:30 左 クハ85108 (80系) 638M 右 クハ68409 (40系) 625M 飯田線 三河槙原 |
左側の湘南色は天竜峡から乗ってきたクハ85108。豊橋から625Mに乗ってやってきた2人と合流しました。 (2023/03/12ワイド化) |
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No.N8213‐15A 1982年11月21日 8:54 165系 4両 602M 急行 伊那2号 飯田線 湯谷←三河槙原 |
上り602M,急行伊那2号が通過。165系4連で運転されていました。川面の映り込みがイマイチですが,川沿いであることはわかりやすい構図です。 (2023/03/23追加) |
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No.N8213‐16A 1982年11月21日 9:09 165系 6両 627M 飯田線 湯谷→三河槙原 627Mは豊橋発中部天竜行の各駅停車で,以前は80系で運転されていましたが撮影時点では165系化されていました。手前の黒い影を避けて各停は4連だろうと縦位置で撮ったらまさかの6連で,編成が入りませんでした。次の列車まで30分ちょっとあるので,食料を買い出しに行きます。 (2023/03/23追加) |
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No.N8213‐17A 1982年11月21日 9:42 165系 4両 601M 急行 伊那1号 飯田線 湯谷→三河槙原 |
165系の急行伊那1号が通過。大垣6:38発,上諏訪14:09着の長距離列車で大垣‐豊橋間は普通となっていました。 (2023/03/23追加) |
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No.N8213‐18A 1982年11月21日 10:17 クモハ54002 (51系) 他 1222M 飯田線 湯谷←三河槙原 |
旧国5連追い写し,ファン垂涎の豪華編成がやってきました。窓割りや扉窓の桟の有無,ベンチレータなどから分析した結果,この編成は豊橋方先頭(写真左側)から,クモハ83100番台+クハユニ56002‐クモハ51200+クハ47104‐クモハ54002であることがわかりました。 (2023/03/12ワイド化) |
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No.N8213‐19A 1982年11月21日 ED62 14+貨車 263レ 貨物 飯田線 湯谷→三河槙原 |
紅葉の飯田線を北上するED62 14号機牽引貨物列車。この日は遅れを持って運転されました。ED62 14号機はED61 16号機を種車として1978年2月23日に改造されました。 (2023/03/21 本ページに追加) |
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No.N8213‐20A 1982年11月21日 10:53 クハ86300番台 (80系) 631M 飯田線 湯谷→三河槙原 |
貨物の後からやってきたのは80系4両編成の631M。豊橋9:40発,11:42中部天竜着のダイヤでした。 (2023/03/24追加) |
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No.N8213‐21A 1982年11月21日 10:54 クハ86300番台 (80系) 631M 飯田線 湯谷→三河槙原 |
宇連川の真ん中に陣取って紅葉と山と清流を前景に入れながら上と同じ80系を後追い。 (2023/03/24追加) |
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No.N8213‐22A 1982年11月21日 11:02 ED6217+貨車 262レ 飯田線 湯谷←三河槙原 |
やってきたED6217牽引の上り貨物を引きの構図で撮影。ED62の青15号とワム80000のとび色が映えます。 (2023/03/24追加) |
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No.N8213‐23A 1982年11月21日 11:03 ED6217+貨車 262レ 飯田線 湯谷←三河槙原 上の列車,川沿いを回ってきました。 (2023/03/24追加) |
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No.N8213‐24A 1982年11月21日 11:16 80系 6両 9633M 快速奥三河 飯田線 湯谷→三河槙原 11/21,23のみ運転される臨時快速「奥三河」が80系でやってきました。長い6両ですが残念ながらこの場所は編成が入りません。追い写し。 (2023/03/24追加) |
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No.N8213‐25A 1982年11月21日 11:16 80系 9633M 快速奥三河 飯田線 湯谷→三河槙原 |
下り80系臨時快速「奥三河」,PLフィルターでコントラストは高めになっていますがフィルムの粗さが出てぼんやりしています。同行の鉄ちゃんがコダクロームで撮っていて,こういう景色はポジがいいからと絶賛していました。今思うとほんとおっしゃる通りでした。できるものならリベンジしたいものです。 (2023/03/20追加) |
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No.N8213‐26A 1982年11月21日 11:18 80系 1224M 飯田線 湯谷←三河槙原 |
臨時快速「奥三河」と三河槙原で交換した1224Mが通過。1224Mは伊那松島を6:02に出て12:33に豊橋に着く定期列車です。 (2023/03/24追加) |
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No.N8213‐27A 1982年11月21日 11:19 クハ85104 (80系) 1224M 飯田線 湯谷←三河槙原 |
飯田線に2両しかいないクハ85,もう片方であるクハ85104を最後尾にした1224Mが川沿いをゆく。 (2023/03/24追加) |
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No.N8213‐28A 1982年11月21日 12:03 クモハ54100台 (40系) +クハ68400台 (40系) 642M 飯田線 湯谷←三河槙原 スカ色の旧国2両は縦位置で水面を一杯に入れ,PLフィルターを付けて反射を抑えて撮影。粒子の粗さはいかんともしがたいですが40年前のISO400ネガフィルムをスキャンしてここまで色再現できれば合格だろうと思っています。 (2023/03/20追加) |
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No.N8213‐29A 1982年11月21日 12:03 クモハ54100台 (40系) +クハ68400台 (40系) 642M 飯田線 湯谷←三河槙原 上の写真と同じ列車。順光なのですがガードレールが残念。編成は短い2両なので入ってくれました。PLフィルターを付けての撮影。両車とも扉間の窓が5枚であり元モハ60形+元クハ55形です。 (2023/03/20追加) |
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No.N8213‐30A 1982年11月21日 12:32 165系 604M 急行 伊那4号 飯田線 湯谷←三河槙原 |
辰野を8:04に出る急行伊那4号が通過。昨日伊那松島から天竜峡まで乗車した列車です。200mm望遠で撮影。 (2023/03/24追加) |
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No.N8213‐31A 1982年11月21日 12:56 クハ86300番台 (80系) 633M 飯田線 湯谷→三河槙原 |
下りの80系中部天竜行き各停も望遠200mmで狙います。 (2023/03/23 本ページに追加) |
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No.N8213‐32A 1982年11月21日 13:20 ED62 15 264レ 飯田線 湯谷←三河槙原 本来三河槙原で交換のダイヤですが下りが遅れていて上り貨物が先に来ました。 (2023/03/24追加) |
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No.N8213‐33A 1982年11月21日 13:30 ED62+タキ 291レ 飯田線 湯谷→三河槙原 遅れていた下り291列車が通過。 (2023/03/24追加) |
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No.N8213‐34A 1982年11月21日 13:38 80系 644M 飯田線 湯谷←三河槙原 |
思い切って川をカットしました。露出オーバーで変色しているのと,編成入っておらずどうしようもないです。このあと,4人で川に入って記念撮影タイムとなりました。 (2023/03/25) |
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No.N8214‐0 1982年11月21日 13:53 クモハ54002 (51系) 1223M 飯田線 湯谷→三河槙原 |
上のNo.N8213‐18Aで撮影した1222Mがクモハ83を切り離して豊橋から戻ってきました。 左 クハユニ56002‐クモハ51200+クハ47104‐クモハ54002 右 の編成です。 (2023/03/22追加) |
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No.N8214‐1 1982年11月21日 13:53 クハユニ56002 (40系)他 1223M 飯田線 湯谷→三河槙原 |
上と同じ編成。フィルムの左側に光が入ってトリミングしたのでボヤボヤの写真になっています。この列車を最後に駅近くのポイントに移動します。 (2023/03/23追加) |
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No.N8214‐3 1982年11月21日 14:28 クハ86300番台 (80系) 6両 9632M 快速 奥三河 飯田線 三河槙原←柿平 |
槙原のお立ち台に移動して臨時快速「奥三河」の返しを撮影。長い時間川の真ん中にいましたが,なんかもう少し早い段階でこっちのポイントに移動した方が良かったのでは?と思います。今更だけど。 (2023/03/23 本ページに追加) |
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No.N8214‐5 1982年11月21日 15:13 クハユニ56003 (40系) 1226M 飯田線 三河槙原←柿平 お立ち台から撮影したクハユニ56003先頭の豊橋行き4連。もっと引きつけたいところですが,この電車に乗るためめっちゃ焦っていました。この直後4人で猛然と駅までダッシュし,なんとか間に合いました。 (2023/03/12ワイド化) |
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No.N8214‐6 1982年11月21日 15:40 クハユニ56003 (40系) 1226M 飯田線 大海 165系の605Mとの交換待ち。このクハユニ56003は飯田線の郵便・荷物輸送のため,1951年‐1952年に,クハニ67形4両に郵便室設置,座席のクロスシート化,およびトイレ取付け改造したものです。上のクハユニ56012 (No.N8212‐32) とは異なり,シル・ヘッダーがありません。ネガの発色が悪く,夕日を浴びてようやく本来の青色が出た感があります。 (2022/02/27ワイド化) |
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No.N8214‐7 1982年11月21日 15:43 左 165系 605M 急行 伊那5号 右 クハユニ56003 1226M 飯田線 大海 |
交換のため顔を合わせた湘南色の165系とスカ色の旧型国電。 (2023/03/21 本ページに追加) |
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No.N8214‐8 1982年11月21日 16:42 7000系 173レ 名鉄特急 新岐阜行 名鉄名古屋本線 豊橋 1226Mで16:38に豊橋に到着,隣のホームにいたのが名鉄特急7000系パノラマカー。16:43に発車するというのでまずこれを撮影。カメラを構えていたら突然標識灯がぐるんぐるん旋廻しだしてうわあぁぁ何なんこの仕掛け,マジびっくり。 (2023/03/24追加) |
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No.N8214‐9 1982年11月21日 16:45 左 クハ86309 839M 右 クハユニ56003 1226M 飯田線 豊橋 |
パノラマカーを見送っていると80系の16:55発豊川行が入線したので乗ってきた1226Mのクハユニ56003との並びをバルブ。クハ86はおでこの塗装の亀裂と運行番号表示窓後部の塗装の剥げ方から,クハ86309と特定できました。 (2023/03/12ワイド化) |
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No.N8214‐10 1982年11月21日 16:57 クハ68410 (51系) 回1226M 飯田線 豊橋 |
80系の豊川行が発車し,回送のため待機する4連。扉間窓6枚,戸袋窓非Hゴム支持,運転室窓の改造方法,助士席窓の運行番号が半分見えない形態,貫通扉手摺,貫通扉上部の金具,などの特徴とクハ68400
‐ 68410,416の実車写真を見比べて番号特定しました。クハ68410は1937年に新製されたクハ68013で,1943
‐ 45年にロングシート化され一旦クハ55127に改番,戦後クハ68に復元されクハ68046となりました。飯田線で使用するため1968年にトイレ設置改造を実施しクハ68410に改番されました。 (2023/03/12ワイド化) |
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No.N8214‐12 1982年11月21日 17:00 7500系 名鉄急行 新鵜沼行 名鉄名古屋本線 豊橋 隣のホームの名鉄急行は7500系でした。前面側もぐるんぐるんやるんかなと見ていたら,この直後フル点灯となり目潰しを食らいました。それにしてもこの逆さ富士形の巨大看板,すごいですね。 (2023/03/24追加) |
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No.N8214‐13 1982年11月21日 17:10 左 クハ68410(51系)回1226M 右 クハ85108 (80系) 641M 飯田線 豊橋 |
右側,17:15発の641Mが入線。この80系4連の編成はこの日の朝,天竜峡から三河槙原まで乗車した638Mと同じ,クハ85108でした。左の回送が発車するのを見送って撮影終了となりました。このあとは18:18発の1543M美濃赤坂行きに乗車,各停乗り継ぎで大阪には23:23着,芦屋23:43着でした。 (2023/03/23 本ページに追加) |
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2002年11月24日 ページ開設 2007年10月26日 クモハ52の写真を追加 2012年1月9日 クモハ52を分離 2012年10月6日 80系を分離 2023年3月12日 キャプション欄左右入替完了 2023年3月12日 写真ワイド化完了 2023年9月7日 Safariで半角数字列が電話番号リンクされるのを無効化 ■参考文献 沢柳健一 旧型国電50年(U) JTBキャンブックス 手塚一之,浦原利穂 半流43系姉妹の一代記 鉄道ファン 1998年10月号‐11月号 交友社 手塚一之 流電52系姉妹の一代記 鉄道ファン 1999年9月号‐2000年1月号 交友社 浦原利穂 関西ファンの記録から 鉄道ファン 1999年9月号,10月号 交友社 交通公社 時刻表 1982年11月号 |